ウィキメディア・カンファレンス・ジャパン2009についての報道が開催後いくつか見られました。多くの人に関心を持っていただき、感謝します。
NHKの報道については、いくつか誤解を生じやすいと思われるところがありましたので、ぼくが気になった点を、ここで説明しておきます。特に「管理者」についての認識の誤りが広まることで、管理者を特別な存在だという誤認が増え、コミュニティあるいは投稿者が負うべき責任を少数の個人である管理者に責任を負わせようとすることが生じかねません。また、番組でも触れられていた管理者がなかなか増えないという問題を加速させかねないものです。それだけではなく、他方、権利の侵害などがあり、当事者や関係者の方が修正や削除などの対応を求める場合に、誤認があると、対応の際のやりとりに無用の混乱を招くことがあります。
管理者は、記事をチェックする役割ではありません。ウィキペディアでは、紙の百科事典とは異なり、投稿した記事は、間違っていても常にチェックすることなく、すぐに公開されます。ウィキペディアでは検閲を行いません。
記事は、ウィキペディアを読むことができる人ならば、誰でもチェックすることができ、誰でも修正することができます。ウィキペディアでは出版社のように校正の専門家に依頼するのではなく、たくさんの「眼」によって、つまり、その記事に関心を持つ者ならば、専門家やマニアや当事者や管理者や執筆者を含む誰もが修正をすることを可能にしておくことで、記事の誤りを減らすのです。気になった間違いを修正したことがウィキペディアに参加するきっかけになったという話はよく聞きますし、校正や編集、専門的な研究を本職としながらウィキペディアに参加している方もいらっしゃいます。
また、管理者は、「通報」ではなく「依頼」とコミュニティの合意を経た後に、「内容をチェック」するのではなく、一連の審議などが誤認に基づいていたりしないかということを「確認」して、対処します。管理者の発言にあったように、「人の名誉を傷つけるようなものであれば、人の目に触れる前に削除する」ことはあります。特に、著名活動をしていない個人に関する情報は、緊急に対処が行われます。しかし、「中傷記事」については、よほど明らかなものでなければ、それがほんとうに「中傷」にあたるかどうかを判断するために、通常は上記のような依頼を通すことになります。
ウィキペディアの方針から逸脱したふるまいをする利用者に対しての説明をするときや、虚偽の記述を繰り返すような利用者に対して書き込みをできなくするような対処をする際には、その書き込みがされている項目や議論の性質によっては、いくらか専門的な知識を必要とすることもあります。しかし、それらの役割は管理者に限られるものではなく、多くの場合には、その記事に関与している、その分野の知識を持った執筆者から指摘がなされます。管理者が管理者として振舞うほとんどの場面では専門的な知識を必要としません。管理者がなにか対処をするにあたって、記事の内容に踏み込んで判断することは避けられるべき事柄とされています。
また、「日本の」「日本では」という紹介のされ方がされていたように思います。ウィキペディアをはじめとするウィキメディアの各プロジェクトは、国や地域ではなく、言語ごとに展開されています。たとえば、日本版のウィキペディアというものは存在せず、日本語版のウィキペディアがあるのみです。百科事典に書かれている事柄というのは、国によって異なるべきではないでしょう。国によって捉え方が異なる概念については、それぞれの捉え方と、その根拠や背景を説明することで、できるだけ偏ることなく記述することをウィキペディアは目指しています。
もうひとつ、ウィキペディアの記事の信頼性は、決して高いものではありません。それは、ウィキペディアの執筆にかかわる者であれば承知していることであり、鵜呑みにするべきではなく、誤りが含まれることもあるということを伝えていただいたことについては、NHKに感謝します。
ただし、長尾館長がウィキペディアの信頼性に問題があると発言している部分を抽出することは、その講演内容から考えると適切ではなく、またカンファレンスでの認識とは異なるものだと思われます。長尾氏が発言しているその後ろには、「多くの自由人の参加による用語解説で厳密な学問的正確性を保証することは難しい。/多くの事典、本、雑誌、新聞などにおける関連する記述との相互参照を行い、信頼性を確保する。」とあります。ジェイ・ウォルシュの取材での発言には「誰もが納得する信頼性の確保は難しい」というキャプションがつけられています。これらが求めている正確さ・信頼性と、番組の中で用いられていた「信頼性」、ネット・リテラシとして教えられるような「信頼性」の水準が、大きく異なることは明らかでしょう。
長尾館長のコーディネイトを企画・手配していただいたARGの岡本真さんのブログも参照ください。
http://d.hatena.ne.jp/arg/20091123/1258968705
さて、ウィキペディアの編集者として考えることもあります。
ひとつには、ウィキペディアのやりかたというのは、まだまだ理解されにくいものだということをあらためて認識しました。
それから、この報道とウィキペディアの関係を逆転させて考える必要もあると思います。
今回、ウィキペディアは「書かれる側」となりました。ウィキペディアの「管理者」の位置づけは、ウィキペディアで活動していれば、文書を眼にすることもあるでしょうし、権限行使にまつわる議論で話題となることもあるでしょう。しかし、閲覧するだけの立場では、「管理する」というイメージを持つこともあるでしょうし、説明のあるページを見つけることも簡単ではない。また、管理者の役割について誤った認識が広まることで生じる混乱もいくらか予想ができます。ウィキペディアへの信頼性についての批判で、もっとも目に付くのは、書かれた本人が、自分の記事についての誤りを指摘する事例です。ウィキペディアの執筆者は、その人物についての資料すべてに眼を通しているわけではありませんし、その人物が執筆者の予想を超えて困っているということもありえます。もちろん、百科事典として求められる中立性から、本人の思うとおりの記述にするべきではありません。いまいちど、存命人物の伝記などを再読していただければ幸いなのです。
Ks aka 98
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